清張の点と線

室井  清陽

 昨年は作家松本清張の生誕百年であった。
 同じく生誕百年を迎えた作家に、少し意外な感じもするが、太宰治がいる。ともに明治42年生まれである。
 太宰治は青森県の大地主の家に生まれ、無頼に生き書きそして愛し、疲れ果て、昭和23年38才で愛人と玉川上水に入水自殺する。
 松本清張は福岡県に生まれ、貧しい生い立ちで辛酸をなめ、太宰が世を去った頃は朝日新聞九州支社の広告図案係である。その翌々年の昭和25年、賞金狙いの懸賞小説に応募するため初めて小説「西郷札」を書く。清張が世に出たのは昭和29年。森鴎外を題材にした二作目の小説「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞する。これを契機に清張は我々が今日知る松本清張へ向かって疾走を開始する。
 人間の評価は棺を蓋いて事定まるという。清張は死してますます人気が出、その評価も高まっているという。傑作「点と線」にならって、清張自身の点と線を追ってみたい。
(以降、登場人物の敬称は略させていただきました。)

解 命

松本清張の命造

 日干乙木、子月水旺癸水分野で時干に癸水透出する「偏印格」。調候丙火月干に透出し、位置宜しく全局に温暖の気及ぶ。調候適切にて生気あり。
 日干乙木は相令にして、日支卯と時支未が卯未木局半会する根に通根。また、水旺の子水と時干の癸水の印が無情なのがよく、子中の癸水も時干癸水も共に日干乙木と卯未木局半会を滋木培木するし、子中の壬水も月干に調候丙火あって暖となり、年干の己土により己土濁壬養木する作用あり。
 日干乙木の干の特性は、陰にして柔であり、「乙木雖柔。刲未解牛」、藤蘿繋甲して甲木が近貼するを喜ぶ。本命は甲木なきが惜しまれるが、卯未木局半会に通根し、月干に丙火調候あって反生の功をなし、癸水が時干に近貼して滋木培木。日干強となる。
 日干乙木の「精」充実して、「神」は月干に透出し、調候とも反生の功ともなる吐秀の丙火。丙火は年干の己土を生じ、食傷生財。用神丙火と取って、日干乙木「精神」あり。喜神は火土、忌神は水木、閑神金となる。
 「始終」は、月干丙火から、丙火生己土、己土生酉金、酉金生子水、子水生日干乙木および卯未木局半会と終わる。喜神の丙火も己土も根あるいは有気となる支が一点もなきが不足といえば不足である。ただし、卯未木局半会が解ければ、年干己土と時支未が肩だすきとなる。
 旺令の子水と時干癸水は無情であり、よく滋木培木しており、木も卯未木局半会をなすとはいえ、蔵干一甲三乙で木太過というほどではなくよく生丙火している。つまり、「始終」よろしく、「精神」あり。用神丙火は調候を兼ねた真神であり、有情にして有力。この丙火あるゆえ、木火通明であり、水木清奇といってよく、地支に酉金と子水が並び、暗に金白水清の象をもなしている。一陽三陰、丙火以外に強い性情の干支なく、一見して大したことのない命に見えて、よく見ると珠玉の如き輝きを放つ命である。
 干の変化を見ると、喜神は丙丁戊己。丁火来ると丁癸尅去し、戊土来るも戊癸合去となるが、月干丙火が時支に接近して喜である。ただ、戊土合去とならず運歳で戊土が強まった場合は、乙木疏土不能の干の特性よりして、土太過の忌となる恐れがある。忌神は壬癸甲乙。壬水来ると壬丙尅去し、大忌の壬水と用神丙火が共に去となる。また癸水は癸己尅去、乙木は乙己尅去となるし、甲木は甲己合して化土するか、去となるかである。
 支の変化は、卯未木局半会して、何が来ても卯木の根が去らないのがよく、卯未が解会するのは、酉、戌。さらに、午来ると四正となって全支個有支となる。未来ると木局半会以上、亥来ると木局全となるが、月干丙火が洩身の薬となる。申来ると申子水局半会するが、卯未木局半会あって金水木火と生丙火の気勢あり。大運支巳巡るは、火旺ゆえ巳酉金局半会不成が原則である。
 つまり、原局と十干十二支の係わりを見ても大忌となる可能性は少なく、また、日干が強旺となり過ぎて無依となることも、弱となり過ぎて無依となる可能性もほとんどないといえる。
 よって「源清」の命と言える。
 次に、大運を観ると、

第一運乙亥運
 乙己尅去、亥卯未木局全。印旺運にして比劫太過するを丙火傷官が薬となるが、無財となり食傷生財に繋がらず。忌の傾向性ある大運。
第二運甲戌運
 甲己合、金旺四年合去。土旺六年化土して戊己土となる。戌卯合して卯未解会。金旺運は戌土は湿土となって湿土生金生水となる喜忌参半。土旺運は戊戌と変化し、戊土は戌土と未土に通根し丙火より生じられ、乙木疏土不能の財の忌の傾向性ある大運。
第三運癸酉運
 癸己尅去、酉卯冲にて卯未解会。己土財去となるも未支個有支に戻る。喜忌参半の傾向性ある大運。
第四運壬申運
 壬丙尅去、申子水局半会。申子水局半会するも卯未木局半会して漂木とはならず、しかし、丙火去となり食傷生財に繋がらない、忌の傾向性ある大運。
第五運辛未運
 辛丙合、辛乙尅の情不専。未卯未木局半会以上をなすが、大運支未中の比劫二乙は日干を強化するより、むしろ火旺四年土旺六年にて丙火の火源となって食傷生財の気勢ある、喜の傾向性ある大運。
第六運庚午運
 庚丙尅、庚乙合の情不専。四正にて全支個有支。午火は丙火の根となり、食傷生財生官殺となる調候運。喜の傾向性ある大運。
第七運己巳運
 己乙尅、己癸尅の情不専。火旺にて巳酉金局半会不成。前運と同様の調候運で、食傷生財の喜の傾向性ある大運。
第八運戊辰運
 戊癸合去。辰酉合、辰子水局半会の情不専。木旺四年、土旺六年であり、食傷生財の喜の傾向性ある大運であるが、流年により戊土が戻り土が強化されると、乙木疏土不能で土多の忌も含む大運。

 よって、「 流前半濁後清 」の運と言える。

生時推定

 本命は、昨年、生誕百年を迎えた作家の松本清張氏の命造である。生前、本人が雑誌かラジオで生時は午後一時頃と語ったという説があるが、その真偽のほどは定かではない。

 生時推定のため略歴を記すと、

  • 生家は貧しく、姉が二人いたが、乳児の時死亡。一人っ子で両親に溺愛される。
  • 高等小学校卒業後(15才)に働き始め、給仕や版下工を転々とし、広告版下の契約アルバイトを経て、昭和15年壬午年(33才)朝日新聞九州支社の広告部図案係として正社員となる。長い下積み生活と学歴の壁がつきまとう苦労の多い前半生。
  • 昭和25年庚寅年(41才)処女作「西郷札」が週刊朝日の懸賞小説「百万人の小説」の三等に入選し、昭和28年癸巳年(44才)「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞する。
  • 昭和33年戊戌年(49才)に推理小説「点と線」「眼の壁」がベストセラーとなり、犯罪の動機を重視した「社会派推理小説」と呼ばれる作品は「清張ブーム」を巻き起こし、推理小説を大衆に解放した作家と言われる。他に自身の代表作という「ゼロの焦点」、「砂の器」、「Dの複合」などが著名である。
  • 推理小説と平行して歴史小説、時代小説を書き、また、「昭和史発掘」「日本の黒い霧」などのノンフィクション作品で昭和史の謎に挑み、さらに、古代史研究など、多芸多才な作家として知られる。戦後の大衆小説作家を代表する文学的巨人とも評される。
  • 家族は夫人と三男一女。
  • 平成4年壬申年(82才)死去。

 生時を順に見ていくと、

  • 丙子刻生、二丙あるは火多にして反生の功ならず。卯木二子に挟まれ水多印多にして、「源半濁小清」。
  • 丁丑刻生、丙火近貼して反生の功あるが、卯木は子と丑に挟まれ、丑も水源深く水多印多の傾向あり。「源半清半濁」。
  • 戊寅刻生、丙火反生の功あって、寅中にも丙火蔵され木火土と流通するも、戊土燥土にして乙木疏土不能。「源半清」。
  • 己卯刻生、丙火反生の功あるも、時干の己土財は食傷と無情にして食傷生財と流通せず。「源半清」。
  • 庚辰刻生、乙庚干合、庚倍力して尅木し貫通して丙火にあい、丙火反生の功ありとはいえ、日干弱。庚金は病にして「源半濁」。
  • 辛巳刻生、乙辛尅あり、日干の情が生食傷と偏官よりの制木の情に分散される。乙辛尅は干の関係宜しからず。「源半濁半清」。
  • 壬午刻生、旺令の壬水透出、午火を制し、乙木を生じるとはいえ、滋木培木の功なく、漂木としかねない憂いあり。「源半清半濁」。
  • 癸未刻生、前述した通り。
  • 甲申刻生、丙火反生の功あって、甲木透出し藤蘿繋甲をなし、よく食傷・財・官殺に耐えられる。「源清」。
  • 乙酉刻生、卯酉冲去し、日干無根の弱。「源濁」。
  • 丙戌刻生、二丙透出し、卯戌合して天干乙丙ゆえ化火する。卯の蔵干は丁丁、戌の蔵干は丙丙と変化し食傷太過。「源濁」。
  • 丁亥刻生、丙火反生の功あって、卯亥木局半会。子水生卯亥木局半会、生丙丁火。藤蘿繋甲でもなく、印も不透なるも、庚金が来ても、丙火制金、丁火煅金して良好。「源清」。
  • 戊子刻生、丙火反生の功あり、卯木は二子に挟まれ、水多印多となるを時干の戊土が時支子を制水。戊土財は食傷に無情にして、食傷生財とならず。「源半清半濁」。

 となるが、松本清張の事象を考えると、「源半清」以上、少なくとも「源半清半濁」以上であろうと考えられ、それらの刻を詳細に観ると、

  • 丁丑刻生、壬午刻生、戊子刻生は、いずれも水多印多の傾向あって、南方火旺の食傷運の喜は劣り、才能発揮して大発展の事象と合わず。
  • 戊寅刻生は、第二運甲戌運、戌卯合去するも日干乙木寅に通根し大運干甲木と藤蘿繋甲をなし、食傷生財良好にて、苦労多く財に恵まれず、との事象に合わず。また、南方火旺運は喜の傾向性あるも、清張の如く、推理小説からノンフィクション、さらに古代史研究へと常に知を求めた事象とも合わず。
  • 己卯刻生は、第二運甲戌運、二己土が戌に通根し、大運干に甲木あって藤蘿繋甲、月干丙火がよく通関して食傷生財良好。戊寅刻と同様にこの時刻も清張の事象と合わず。
  • 甲申刻生は、第二運甲戌運、金旺四年は甲己合去、土旺六年は甲己干合化土し、地支は申酉戌西方をなす。西方に対しては、薬の丙火月干に透出し子水も通関となるし、藤蘿繋甲の命にて化土した戊土を制し得て、この運苦労多く財にも恵まれずの事象と合わず。第三運癸酉運、癸己尅去、酉卯冲去。日干の根失うも子水あり甲木あり、陰干弱きを恐れずにて大忌とならず。第四運壬申運、壬丙尅去、申子水局半会。水太過するも藤蘿繋甲にて耐え得られ、続く南方運は喜の傾向性ある運を巡る。この生時ならば位相良好にて、作家というより、経営者がよく、卯と申あることから政治家も佳と考えられる。
  • 丁亥刻生は、第四運壬申運、壬丙尅、壬丁合の情不専。申子水局半会、水太過し忌神の元神壬水透出し丙丁火を制し、才能発揮に難ある大運。処女作「西郷札」はこの運中の庚寅年、「或る『小倉日記』伝」は癸巳年であり、やはり疑問残る。また、この時刻生は、甲申刻生等と同じく日干強、喜神は火土金、忌神は水木で、年柱に月干丙火から生じられた喜神の己土と酉金あって、生家貧とは考えにくい。さらに、清張は、現代社会を動かし大衆に大きな影響を与える権威的なもの、国家権力、官僚組織、政党、巨大組織、アカデミズム、マスコミ等に批判的角度から強い関心を持つ作家であったが、丁亥刻生は卯亥木局半会して三甲一乙を蔵し、官殺の庚金は庚金劈甲引丁、丁火煅金の弁証法的な良好さをもたらす喜神であり、清張にとっての官殺との関係と合わないと考えられる。

 以上より癸未刻と推定する。

運 程

立運前

  • 本名は清張(きよはる)。松本家の長男として出生。父は幼少時に松本家に養子に入る。姉二人いたが乳児の時死亡。
  • 1才庚戌年、戌卯合で、卯未解会。戌土は湿土となって生金。喜忌ある流年。
  • 2才辛亥年、亥卯未木局全。忌の流年。
  • 3才壬子年、壬丙尅去。壬水去るは良きも調候丙火も去。水の印強まる忌の流年。
  • 4才癸丑年、癸己尅去。己土財去となり、丑土が湿土生金生水となる忌の流年。

 1才時に両親は祖父を頼って下関市旧壇ノ浦へ転居。祖父の家は通行人相手に餅屋をして生計を立てていた。
 生家は貧困」と清張は「半生の記」に書いている。年柱に調候丙から生じられる己土財あるも、酉金を生じ酉金は子水を生じる。金は閑神であるが、4才までの流年は水の忌象強まり、酉金は水源となるのみである。
 翌甲寅年の六月末頃大運に交入する。

 次に大運を観ると、

第一運 4才~14才 乙亥
 原局の己土財が乙己尅去し、水旺運で亥卯未木局全。比劫太過するは丙火傷官が洩身の薬となるが、無財となり食傷生財に繋がらない。忌の傾向性ある大運。
 家は貧しく、父は様々な職業を転々とする。しかし、父は学問には憧憬を持ち、夜、手枕で清張に本を読んで聞かせたという。一人っ子のため、両親には溺愛される。清張は、小学校の時から絵が好きで、絵の成績は級で一番だったという。目(木)で見たものを形にする造形力(丙火)。
第二運 14才~24才 甲戌
 甲己合、金旺四年合去。土旺六年化土して戊己土となる。戌卯合して卯未解会。金旺運は戌土が湿土生金生水となる喜忌参半。土旺運は戊戌と変化し、戊土は戌土と未土に通根し丙火からも生じられる。乙木疏土不能にして、財の忌の傾向性ある大運。
  • 15才甲子年、尋常高等小学校を卒業し、生活のため給仕として働き始める。その後、印刷の版下工となり、この大運中は倒産などによりいくつかの会社を転々とする。
  • 16才~18才、乙丑、丙寅、丁卯年と文芸書に親しむ。小倉市立図書館に通いつめ世界文学全集を読破。特に、芥川龍之介、菊池寛、外国ではポーを好んだ。
  • 20才己巳年、巳酉金局半会し、二己土生金。文芸仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、「アカの容疑」で小倉刑務所に留置される。心配した父により蔵書をすべて燃やされ読書を禁止される。
第三運 24才~34才 癸酉
 癸己尅去し、己土財が去となるが、酉卯冲で卯未解会し、未支が個有支に戻る。喜忌参半の傾向性ある大運。
  • 27才丙子年、見合い結婚。子供は、三男一女に恵まれる。
  • 28才丁丑年、朝日新聞九州支社の契約アルバイトとして広告版下を書く仕事を始める。働きぶりを認められ、33才壬午年、広告部図案係として正社員となる。
 当時の朝日新聞社は学歴による厳格な身分の差があり、清張は激しい差別感を感じたようである。小説を書くということは、この頃は念頭にもなく、とにかく家族を養うために働くことで精一杯の日々。
第四運 34才~44才 壬申
 壬丙尅去、申子水局半会。大忌の壬水と用神丙火が共に去となる。申子水局半会するも卯未木局半会して漂木とはならず、しかし、丙火去となり食傷生財に繋がらず、忌の傾向性ある大運。
  • 34才癸未年、前々年(辛巳年)より太平洋戦争が勃発。この年招集され衛生兵として朝鮮に駐屯。翌々乙酉年終戦となり、朝日新聞社へ復職する。朝日新聞社内の激しい差別感にさいなまれていた清張は、軍隊生活での厳しくはあっても地位、貧富、年齢に関係のない平等さに奇妙な開放感を味わう。
  • 以後、37才~40才、丙戌、丁亥、戊子、己丑年と天干に喜神の干ある流年は、広告部意匠係として勤務のかたわら、図案家として観光ポスターコンクール等に応募して入賞する常連となる。この頃、一時は勤めのかたわら箒(ほうき)の仲買いのアルバイトもする。
  • 41才庚寅年、寅申冲で申子解会。壬丙尅去のまま。寅中に丙火あって庚金劈甲引丙して、食傷生財生官殺と流通する年。「週刊朝日」の懸賞小説「百万人の小説」に応募した「西郷札」が三等に入選する。若き日の文学的情熱もあり、一等三十万の賞金に魅力を感じて応募する。三等賞十万円。
  • 44才癸巳年、癸己尅去。巳酉金局半会、巳申合の情不専。壬丙尅去のままなるも、巳火に洩秀。「西郷札」で知遇を得た木々高太郞のすすめで『三田文学』に発表した「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川賞を受賞する。そして、本人の希望で東京本社へ転勤となり、翌甲午年には家族も呼び寄せる。会社勤めと執筆の二足のわらじを履く。44才、遅咲きの文壇デビュー。
第五運 44才~54才 辛未
 辛丙合、辛乙尅の情不専。未卯未木局半会以上をなすが、大運支未中の比劫二乙は日干を強化するより、むしろ火旺四年・土旺六年にて、丙火の火源となって、生食傷生財の気勢ある、喜の傾向性ある大運。大運干辛金は年支酉に通根し、生食傷生財生官殺と五行流通し、才能発揮が財と社会的地位の向上に繋がっていく。
  • 45才甲午年、昼は新聞社での仕事、夜は執筆。この年より質の高い作品を次々と発表する。
  • 47才丙申年、父母と妻、子供四人の大家族を抱えて新聞社を辞める踏ん切りがつかなかったが、同じく芥川賞を取った後、新聞社を辞めた作家の井上靖から「もう辞めてもいいころ」と言われ決断。作家専業となる。
 小説は史実に基づく歴史小説から自由に想像力を伸ばせる時代小説にも手を広げ、また、推理小説も書き始める。「張込み」が最初の推理小説であるが、「西郷札」「或る『小倉日記』伝」共に、未知の事実を綿密な取材調査によって明らかにする謎解き的な要素のある小説であり、推理小説に通じるものがある。後年「推理小説をなぜ書くのか」と問われた清張は「好きだから」と答えている。つまり、命理的には、木火通明と水木清奇の文学的才能に、暗に金白水清の象あって、論理で迫る理系的能力を併せ持つ命であるゆえと考えられる。
  • 49才戊戌年、「点と線」「眼の壁」が出版され、「社会派推理小説」と呼ばれ、ベストセラーとなる。自身の代表作という「ゼロの焦点」もこの年書かれ、「清張ブーム」が起こる。
  • 50才己亥年、執筆量の限界へ挑戦するが、その結果、書痙(しよけい)(字を書く時、手が震えて良く書けないことをいう)にかかり、以後、口述筆記でそれに加筆する形となる。連載だけでも七本の小説を同時進行。亥卯未未木局全以上の木多であるが、甲木不透で丙火猛烈、木多火熄とならず。才能発揮の丙火の火源が重々とあることで、同時に複数の仕事(小説)が可能と考えるべき。
  • 54才癸卯年、推理小説は次第に、現在社会を動かす権威権力の闇の部分に光を当て、そこに生きる不気味な人間の肖像を描くことに重点が移って行く。また、「日本の黒い霧」「深層海流」「現在官僚論」など現在史のノンフィクションの作品により、第五回日本ジャーナリスト会議賞を受ける。
第六運 54才~64才 庚午
 庚丙尅、庚乙合の情不専。四正にて全支個有支。午火は丙火の根となり、食傷生財生官殺となる喜の傾向性ある大運。
 今までの推理小説、歴史小説、時代小説、現在史のノンフィクションから、古代史にまで仕事の領域を広げる。
  • 57才丙午年、「古代史疑」の連載開始。
  • 58才丁未年、ノンフィクション「昭和史発掘」などの作品と幅広い作家活動により、第一回吉川英治文学賞を受賞。
  • 61才庚戌年、「昭和史発掘」を軸とする意欲的な創作活動により、第十八回菊池寛賞を受賞。古代史関連の仕事が増える。
第七運 64才~74才 己巳
 己乙尅、己癸尅の情不専。火旺にて巳酉金局半会不成。食傷生財の喜の傾向性ある大運。
 清張の守備範囲は、推理小説、歴史小説、時代小説、ノンフィクション、現在史・古代史の研究と極めて幅広く、大家としての地位が固まる。現在史から古代史へと知を求め続ける姿勢は、子月水旺の生にして時干に癸水透出する命であることを考えると、納得のいくものであろう。
 また、数多くの清張作品が映画化・テレビドラマ化され、傑作と言われる作品も多い。
第八運 74才~84才 戊辰
 戊癸合去。辰酉合、辰子水局半会の情不専。木旺四年、土旺六年であり、食傷生財の喜の傾向性ある大運であるが、流年により戊土が戻り土が強化されると、乙木疏土不能の忌も含む大運。
 作家的出発の遅かった清張は「やりたいことが無数にあるのに、残された時間がない」というのが口癖だったという。事実、80才を過ぎて新作の連載を開始してもいた。
  • 79才戊辰年、二戊一癸の妬合にて戊癸解合。歳運併臨の二戊二辰はさすがに土多にて、体調を崩して入院。視力の低下にも悩まされる。
  • 80才己巳年、前年の後遺もあり、前立腺手術。また、緑内障手術。
  • 82才壬申年、壬戊尅、壬丙尅の情不専で戊癸合去のまま。申子辰水局、辰酉合にて、申子水局半会。壬水が申子水局半会に通根する水太過の忌の流年。大運土旺運に入っており、動脈硬化も進んでいたと思われ、四月甲辰月、脳出血で倒れる。手術は成功したが、七月末病状が急変し、八月四日丁未月壬子日死去。肝臓がんと判明とのこと。おそらくは79才戊辰年、土多金埋にてがん発病し、深く潜行していたのではないかと考えられる。
 倒れる直前まで意欲的に仕事をしていた。正に、生涯現役。

事 象

① 忌運を巡る前半生の生活体験が作家清張の源泉となる

 清張の生い立ちは貧しく、高等小学校卒の学歴などにより前半生は様々な辛酸を味わった。後年、清張は次のように書いている。
 「私に面白い青春があるわけはなかった。濁った暗い半生であった」
 「金もなく、学問もなく、愛すらもなく」
 「自分自身がうらぶれた裏道をとぼとぼと一人歩いているようなものなので、灯のかすかにもれる裏道を歩いているような人物に興味を持つ。行動的な強い人間は自分の性分に合わないと思っている」
 以上は清張の前半生の心象風景と思われるが、貧しく打ちひしがれている庶民への共感、反権力的な視点と社会を動かす権力の暗い闇の部分への旺盛な好奇心、フィクションの面白さを強調する一方で、隠された真実を追究するノンフィクションへの強い関心。これら清張文学の特質は、前半生の苦難の人生体験、生活体験にその根っこがあると思われる。
 44才芥川賞を契機に清張の人生は一変する。

② 芥川賞作家から大ベストセラー作家となる

 後半生の才能発揮の喜運に入るや、清張は動機の重要性と、ミステリーの現実性、社会性を強く打ち出した社会派推理といわれた小説を疾風怒濤の勢いで次々と発表する。
 これは江戸川乱歩に代表される探偵小説を一新するものであり、読者層も探偵小説の一部の熱狂的マニアから、多くの一般市民に歓迎されることとなり、「清張ブーム」を巻き起こし、清張は大ベストセラー作家への道を歩むこととなる。

③ 生前の清張は文壇や学会からは高い評価を得られなかった

 44才より南方火旺運を巡り、食傷生財、財は官殺を生じ、木火土金水とよく五行流通する。官殺も辛未運、庚午運と大運干に透出し年支酉に通根、日干乙木は、甲木と違い庚金劈甲の必要はなく、本命は「何知其人富。財気通門戸」でもあれば、「何知其人貴。官星有理会」にも相当する。何よりギリギリまで引き絞られた弓から放たれた矢が疾走するような、才能発揮抜群の後半生であり、「食神(傷官)生旺。勝以財官」才能発揮の丙火こそ清張の生命線である。
 生前は文壇の主流からは異分子とみなされ、また「昭和史発掘」は三百万部も売れたが歴史学会からはほとんど無視されたというのは、当時の権威が推理小説をどう評価していたかが伺える。しかし、権威は認めなくても、多くの一般市民はいち早く清張を認め、小説、映画、ドラマに清張の人気はすさまじかった。

④ 新たな推理小説を開拓した眼力が実社会と歴史の闇を照射する

 没後十七年の今、清張への様々な再評価の動きがあるという。金融危機や「勝ち組」「負け組」の階層分化の進行、世界的不況などの混沌とした時代にあって、清張の社会派推理小説の作品群や、「日本の黒い霧」「現代官僚論」「昭和史発掘」などの社会と歴史の深層を見つめたノンフィクションが再度脚光を浴びているという。清張の眼力が社会と歴史の闇を照射する光を今なお放つゆえであろう。
 学会でも「昭和史発掘」を中心にその評価が一変しているようであるし、文壇では、その広大な内容や七百五十冊に及ぶ圧倒的な作品量で、バルザックやドストエフスキーに並ぶ文学的巨人ととらえ直す声さえあるという。
 生誕百年を過ぎた今、推理小説を大衆に解放した作家と言われ、多くの人々に愛読されていることが、清張にとって何よりの勲章であろう。
 生誕百年、清張ますます光彩陸離たり。


【 参考文献 】

  • 新潮日本文学アルバム 『松本清張』  新潮社
  • 一個人三月号 『昭和と生きた最後の文豪』 ベストセラーズ
  • フリー百科事典「ウィキペディア」
    松本清張の項

2010年5月3日掲載