接近理論(1)

武田  考玄

 前号まででほぼ「貫通理論」はご理解いただけたことと思いますし、実造に際して、この理をもってしますと、 今まで解命するに困難を感じた命も大変わかりやすく、あらゆる事象にも合致すること多々あることに気づかれた ことと思います。
 この「貫通理論」の延長線上にというか、「貫通理論」の表裏となるというか、不即不離な理として、これから公表する 「接近理論」があるのです。
 エネルギーとして天干は天の気てあり、地支は地の気であることは、「欲識三元万物宗。」以下の「滴天髄」の冒頭句、 私が公理として示した“太陽と地球の相関関係の中における個人の対応である”ということの、より一層深い弾力的な 弁証法として裏付けられ理論化されるものであります。
エネルギーとして天干は天の気であって、既往の陰陽五行哲学では、天の気は下降するもの、として大変直線的固定的 概念となっており、また地支は、地の気として上昇するものとして、直線的固定概念と理解されていたのであります。 わかりやすく図示しますと、


天干(天の気)と地干(地の気)の相関関係図

 左記のようになってせいぜい広がりがあるものとしても、たとえば年干は、直線的である 年支と月支くらいまでで、もし年干が甲木であって、地支が申・酉の金であれば、木と金は尅の関係となって そこではばまれ、日支や時支にはそのエネルギーである天の気は及び難い、及ぶとしても大変無情であり無力なものである、 と考えられていたのであります。それはそれとしてまことに正しいものではありますので、そこに陰陽五行の制尅生化の 基本定理、有根・無根、有情・無情、という思考から、左右・上下・前後・遠近の理や、「始終」としての五行の流通 という思考が命理の重要な視点ともなっているので、そのこと自体を誤りであると言っているのではありません。
 また左右という点におきまして、左右の天干はエネルギーとしての気が、生尅制化の定理によって、 天干の尅や合、また地支の冲・合・方・局が生ずることによって、化学的変化ともいうべき作用が発生し、 去となって無作用となったり、化して本来もっている干が変化したり、地支蔵干が変化したりすることは、 皆様百も承知のことであって、そのことをも誤りであるなどということでは全くないのです。

 問題として、ここに「接近理論」を提起するのは、 左右のエネルギーが去となって無作用となった場合、天の気は“下降” し地の気は”上昇”する、という直線的固定的概念は、エネルギー理論として、相対性的にも、弁証的にも正 しくないということであります。つまり、天の気も地の気もエネルギーであるからこそ、左右並んだ干や支が生尅制化 の定理原則によって、去となり無作用なエネルギーとなったなら、残っている気であるエネルギーは天干においても、 地支においても、左右に拡がり移動・流動するものである、と考えるべきものである、ということであります。このこ とは、左右の冲・尅・合の定理の延長線上のエネルギー理論に背反するものではなく、冲・尅・合を成立させる ものである、ということになるのです。つまり、天の気は“下降”するのみであったり、地の気は“上昇” するもののみであったならば、天干・地支の冲・尅・合・局・方の定理は成立するものではありません。エネルギーは 上下のみではなく、左右に波及するからこそ、冲・尅・合・局・方が定理原則論となる以上、それが無作用となったな ら、残っているエネルギーは、気としてエネルギーとして、左右へと拡がり、移動性エネルギーとなるものである、と いうのが「接近理論」であります。

 なぜ、「接近」というかといいますと、たとえば、年干と月干が去となって無作用となった としますと、天干の気である日干のエネルギーは、年干の位置くらいにまで“拡がり”を波及し、時干のエネルギーは 月干の位置くらいにまで拡がりを波及させることにより、地支である地の気と接近するからであります。
 しかし、それが日干であるということ、時干であるという「先天命」としては不易のものであって、日干が年干になったり、 月干になったり、あるいは時干が月干になったり、日干になったりするものではないことはいうまでもないことであり ます。このことは、地支にも同様にいえることで、地支が去となり無作用となったなら、気と してエネルギーとして、あるいは拡がり、あるいは地支同志が接近もすることにより、天干の気であるエネルギ ーにそれぞれ接近することとなりますので「接近理論」と称したのであります。
 地支の場合も天干同様「先天命」としての年支が月支になったり日支になったり、時支になったり、月支が年支になったり、 日支になったり、時支になったり、(他も同様)することなどはあり得ないことであります。つまり地の気であるエネルギーは、 単に“上昇”するのみではなく、去となったところへ拡がり移動性をもつもので、天の気であるエネルギーヘ接近もするもの であるということになるのです。ですから、たとえば月支日支が去となって、年支と時支が接近したからといいまして、 再び年支と時支が冲・合・局を成立させることはあり得ないのです。つまり、去という化学的変化ともいうべき作用を起した 後のエネルギーの接近であるからであって、年支そのものであること、時支そのものであることに変わりはないのです。

 このことは、ある個人の生年月日時というものが、過去の時間エネルギーそのものである、 変えることのでき得ない「先天命」といわれる年の、月の、日の、時間のエネルギー集固であるからこそ、その集固自体 の中で生尅制化のエネルギー変動が行われる、という命理の公理・定理・原則から相対的・弁証的に導き出される理論で あります。
 それを今までの命書では、単に天の気は下降、地の気は上昇するとのみ考え、それぞれの干と支をあまりにも固定化 していたのであります。それは、相対性的・弁証的思考が欠落していたのでありまして、エネルギー理論として命 理学を認識し秩序づけ体系化することを阻害する要因があったとさえいえるのであります。いみじくも、先賢先哲が、 「気」というまことに深く広い言葉をもって表現した意味を平面的固定的にしか認識できなかったのではないかと思わ れるのです。

 このことはまた、周知の如く、原局といわれる「先天命」である過去の時間エネルギー集固 に対して、時間エネルギーの経過の運歳の干支が、あたかも磁場エネルギーがある如く、原局の四干と運歳のそれぞれの 干が同時的に作用・はたらきかけを起こし、千変万化の吉凶禍福の事象を発生させていくという、エネルギー不滅の原則 による、転換律となることとも矛盾するものではないのであります。
 さらにまた、純粋な意味における気候・季節の調和の、調候という問題も、前回まで論述した「貫通理論」と、この 「接近理論」の統合理論によって説明づけられるものであります。たとえば、日干甲木にして、巳午未月の三夏に生ま れるのは、調候として癸水が必要である、といわれるのは、天干にあることをいっていることで、単に調候のみではな く、癸水生甲するに壬水よりもはるかに干の特性として有情有力であるとともに、さらにその上庚金の偏官をして、庚 金劈甲すると同時的に化殺生身し、日干をさらに生扶をもする作用が天干の癸水にある、ということです。そしてこの調 候癸水が、かりに時干にありますと、単に甲木が生扶されるだけではなく、この甲木を湿木とした癸水は、さらに月干 のエネルギーを波及して、月支の巳午未の火旺または土旺の燥土にも波及することにより、「貫通」そのものではないが、 甲木を湿潤として、癸水が巳午未の月支に「接近」することにより、調候の効を発揮することができるのであります。 この調候の癸水が月干にかりにあるなら、これはもう問題なく調候良好、となるのはいうまでもないし、年干にあって 尅去・合去・合化されることがないなら、さらに近い、つまり斜めになる巳午未の火旺・燥土への、調候の効を発揮するのです。 この場合月干が如何なる干であるかによって、日干甲木を生扶滋培する作用が有力・有情であるか、無情・無力である かという種々な相違が発生してくるのは当然なことであります。しかし年干に癸水あって、調候あるということは、相 対的に甲木を炎上させることなく、“木成化灰”とならない、ということであります。他の調候も同様の作用、 はたらきがあるのです。

 つまり、重要な調候視点におきましても、相対性的・弁証的「貫通理論」と「接近理論」 “的”な面から、実造の証明ができるものであります。
 つまり今まで既往の命書で、調候が論じられてはきましたものの、これら「貫通理論」と「接近理論」の統合理論不 明のままに“「造化元鑰」「窮通宝鑑」にそう書かれているから、先生がそのようにいっているから正しいのだ。”と いうように受けとられてきましたが、しかし、ここまで読んでこられて、恐らく始めてその論的背景によって、芯から納得 理解されたのではないかと思います。
 このように「貫通理論」と「接近理論」ははじめに申し上げたように、表裏一体・不即不離な相対性的・弁証的な理 論であります。
 ここでは「接近理論」を説明しておりますので、単に文章としてのみでなく、実証的なことは後述することとしまし て、具体的な例を挙げながら、詳しく説明してゆくことといたします。

接近のイメージ1

 まず、天干の尅去あるいは合去によって、年月の干が無作用となったものは無きに等しくなり、 何等かの作用を及ぼすことが無くなるのですから、下図のようになると考えるべきであります。
 日干と時干の順は入れ替ることはないが、この一群組織の中で、下図となって、年月日時の天の気は移動していると 考えることができるのです。

接近のイメージ2

このことは、地支の冲去・合去にも同様のことが言えるのです。つまり、下図のような移動・接近が行われると考えるべきです。

接近のイメージ3

 もちろん年月日時支が全支冲去・合去となった場合は全支無根、無作用となって、 上図のような移動・変動・接近は行われるはずがありません。
 つまり、天干も地支も、一年という「気」であり、それが年月日時の干支としてあるところに在るなら、 その位置におさまって変動・移動することはない「気」であるエネルギーでありますが、去となり無作用となったなら、 それ以外の天の気、地の気のエネルギーは、その一年という気の中で、移動・変動するものではあるが、本来の具有する それぞれの定位の意義自体、その順序・秩序が乱れたり、前後したり、飛びこしたりすることなく、去となった「気」 エネルギーの空(くう)となった間を動的に移動・流動すると考えるべき理であります。

 たとえば、日干の根が年支に遠く離れて、かつ月支により阻害 隔てられていた無情であったものが、かりに年月干が去となるに及んで、その無作用、空となったところへまで移動して来て、 日干の根として有情となり、有力化されるものであります。逆に、月支日支が去となりますと、年支と時支は無作用となり 空となったところへ移動して来て、日干や時干、年干や月干とのかかわり合いが密接となる、ということであります。
   これを、次号に例をもって示します。

(次号に続く)